能登半島地震で被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
こんにちは!金沢市在住のコーチ兼心理カウンセラー、書道アーティストの土田英実(つちだえみ)です。
本日のお話は・・・
*自分が恵まれていることで、被災地の方に「申し訳ない」という罪悪感について
*支援の為に、自分を満たす必要があるということ
*支援は自分の身近なところにある
*罪悪感を感じないから「愛」が無いわけではない
元旦に起こった能登半島地震。
沢山の犠牲者、被害。
地形が変わってしまうほどの地震でした。
その後報道の通り、石川県能登地方は、道路が閉ざされ、ライフラインは途絶え。
避難されている能登の皆様に物資を届けられない状況でした。
(実はあまり報道はされていませんが、金沢市や金沢市隣接の町も道路破壊、ライフライン停止、土砂崩れなどが場所によっては起きていました)
サイレンが町に響く中、小学校へ避難はしたものの、幸い、私の住む町はライフラインは止まりませんでした。
電気、ガス、水道、通信が止まらなかったのは本当にありがたかった。
自分が恵まれていることの罪悪感
避難所から戻った私を襲ったのは罪悪感。
能登の皆さんは、食べるもの、飲むものもままならない。
親族が亡くなっている、行方不明になっている、家屋倒壊、焼失の状況で、避難所や自主避難場所で頑張っている。
同じ石川県に居ながら、
私は不自由なく食べて、お風呂にも入れる。
能登へ飛んで行って、私が出来ることはないだろうか?と思いました。
しかし地元のSNSでは、「プロじゃなければ、とにかく能登へ出向かないように」と情報が回っていました。(道路被害の写真付きで)
道路が寸断し、人も物資も移動できない状況で、何もできず。
「募金」という手段しかない。
(微力ながら、募金させていただきました・・・。)
日々の生活で、恵まれていることで「罪悪感」を感じる。
被災地の方に、申し訳ない気持ち。
こんな想いの方、実は沢山いらっしゃるんじゃないかと思うのです。
まずは自分自身を保つことが、被災地支援の第一歩になる。
被災地の方へ自分が出来ること。
一番大切なのは、まずは「自分が身も心も元気であること」だと思うのです。
それぞれに、直接でなくても、「被災地支援をする場面」がきます。
その時に、私達の身体が、心が、元気でなければ支援できません。
まずは、自分を満たすことが大事。
しっかり食べて、お風呂に入り、心を癒す。
出番はすぐにやってきます。
普通の生活ができる罪悪感を、「その時の為の準備」として変えていきませんか。
被災地支援の私達の出番は、身近なところにもある。
支援の募金の輪が広がっていますが、
実は本当に身近なところにも「支援」があると思うのです。
災害によって、ビジネスの場面でも、プライベートの場面でも、通常通りにいかないこともあるでしょう。
快くリカバリーをすることも支援です。
皆様がリカバリーしてくれるから、被災地最優先で物資や人、エネルギーを投入できることに繋がるんです。
自身の経済活動(購入したり、販売したり)も、直接でなくても支援に繋がります。
経済が回っていることで、金銭的な被災地復興に繋がります。
目の前のお仕事を、一生懸命にやることも、支援です。
迷いましたが、書初めワークショップを開催しました。
先日、土田が開催したオンラインの書初めワークショップ。
(金沢開催は、安全面を考慮し中止としました)
迷いましたが、「支援する周囲が元気であること」の信念に基づき、開催しました。
被災地支援の為、皆が元気であることが大事。
ワークショップに参加いただく皆様と、開催する土田が、
心から喜びを感じ、元気になることが大切であると考えました。
後日、開催レポをお届けします。(満席でした!ありがとうございました)
まずは自分、それから身近な人へ気を配る。
「能登へ行って何かできることはないか?」
先日まで、そればかりを考えていたのですが、身近なところに異変がありました。
小学二年生の次女が、日々に不安を感じていたのです。
なんとなく食欲が落ち、なかなか眠れない。
そして「怖い」と言っていました。
ずっと余震は続いており、石川県のテレビはどこのチャンネルも、
テレビの下部や左端に、被災地情報(避難所や被害状況)が常時流れています。(今も)
テレビを見たり、元旦のあの状況を思い出したりして、怖い想いをしている娘。
親として、一番身近な存在に気配れなかったことを反省しました。
一緒にいたから大丈夫、では無かった。
もし、被災地へ支援に行けたとしても、
子供が不安な状況では無理だったかもしれません。
身近な存在の皆も、身も心も元気であることが大切だと感じました。
「いつか来る、被災地支援の出番の為に」
自分の次に、身近な存在の人に気を配ってあげてほしいと思います。
ちなみに、罪悪感を感じないからと言って「愛」がないわけではない
中学生の長女が、「私はママのように、そこまで申し訳ないとかなってない・・・変かな・・・」と言っていました。
罪悪感は「愛」から来るもの。
「愛が大きい人ほど罪悪感を持つ」
そんなふうに私の師匠・根本裕幸は言います。
私の長女は共感性が高く、「愛」が大きいと思っているのですが・・・
おそらく彼女は、「自分が辛くなり動けなくならないように、感じないようにしている。」そんなふうに見えます。
自分を保つ為に、あえて共感しないようにすることも、もちろんあるでしょう。
思い出せば、東日本大震災の時の私がそうでした。
生後8か月の長女の育児中で、震災のことを考えないようにしていたと思います。
東日本大震災の被災された方には、大変恐縮なのですが・・・。
あの頃、「他人事」としなければ、私は共感しまくって、心も寄り添いまくって、
毎日泣いて泣いて暮らしていただろうと思うのです。
何も動けない状態になっていただろうと思うのです。
自分を保ち、目の前のことをしっかりやり遂げる為に、
無意識に「他人事」としているのも、それは「愛」以外の何者でもない。
「愛」があるから、そうせざるを得ないのですから。
土田はそう思います。
そして繰り返しますが、目の前のことを一生懸命やることは、まわりまわって、被災地復興へと繋がるんです。
被災地の方への皆様の想いは、きっと届いています。
被災地の皆様が、一日でも早く安心を得られるように心よりお祈りしています。
そして、身近なところから支援をし、直接の支援が出来るその日に備え、
私も日々を大切にしていきたいと思います。